略年表

Xでポスト
フェイスブックでシェア
ラインでシェア

ページID1007464  更新日 令和6年3月8日

印刷 大きな文字で印刷

年号 事項
古墳時代前期(四世紀) 三基(大日塚・愛宕塚・権現山古墳)の前方後方墳がつくられる
五世紀 前方後円墳(笹塚古墳・塚山古墳・雀宮牛塚古墳)があらわれる
六世紀から七世紀 市内各地に古墳がつくられる(瓦塚古墳群・戸祭大塚古墳など)
長岡で横穴墓がつくられる
八世紀 水道山で下野薬師寺や国分寺の瓦が焼かれる
東山道が整備される
この頃、大谷磨崖仏がつくられる
承和5年(838年) 二荒山神社が現在の地に移る
文暦2年(1235年) 藤原定家が蓮生の山荘に和歌色紙を贈る
宇都宮氏一族が歌人として活躍
正元元年(1259年) 新○和歌集が撰集される
弘安4年(1281年) 宇都宮貞綱らが九州に行き元軍の防備にあたる
弘安6年(1283年) 宇都宮景綱、宇都宮弘安式条を制定
永仁年間(1293年から98年) 飛山城が築かれる
正和元年(1312年) 東勝寺に鉄塔婆(清巖寺に現存)が奉納される
正慶2年/
元弘3年(1333年)前後
関東各地に戦乱が続き、宇都宮の町も荒廃する
応永12年(1405年) 宇都宮満綱が、長楽寺に銅造阿弥陀如来座像(俗称、汗かき阿弥陀)を奉納(一向寺に現存)
天正20年(1592年) 宇都宮国綱が秀吉の命により朝鮮に出兵する
慶長2年(1597年) 宇都宮氏がほろびる
慶長5年(1600年) 徳川秀忠が上杉景勝征伐のため宇都宮に入る
慶長9年(1604年) 徳川幕府が二荒山神社を造営
元和5年(1619年) 宇都宮城主の本多正純が城下を整備。領内総検地を始める
元和8年(1622年) 秀忠日光社参、本多正純改易される。奥平忠昌、宇都宮に再入封する
寛文10年(1670年) 西原・宝木十カ新田の開発が始まる
寛文12年(1672年) 浄瑠璃坂の仇討事件起きる
宝暦3年(1753年) 宇都宮藩五合摺を六合摺に改め、これに反対する百姓一揆起こる(籾摺騒動)
文化12年(1815年) 宇都宮藩、藩学「修道館」・「潔身館」を設置
安政3年(1856年) 桑島新田の開発が始まる
安政5年(1858年) 宝木用水完成
文久2年(1862年) 宇都宮藩、山陵を修理
元治元年(1864年) 水戸天狗党、宇都宮藩の支援を求める
明治元年(1868年) 戊辰戦争で宇都宮の城下町の大半が焼ける
明治5年(1872年) 宇都宮・東京間に乗合馬車が開通
明治6年(1873年) 宇都宮県、栃木県と併合
明治17年(1884年) 栃木県庁、栃木から宇都宮に移転
明治18年(1885年) 東北本線大宮・宇都宮間が開通
明治22年(1889年) 宇都宮町制施行
明治29年(1896年) 宇都宮が市となる(戸数 6,991戸、人口 35,234 人 65カ町)
明治33年(1900年) 宇都宮電燈株式会社創立
明治39年(1906年) 市内に電話が開通
明治40年(1907年) 第14師団指令部の設置が決定
明治45年(1912年) 旭町に市庁舎ができる
大正5年(1916年) 水道の給水を開始
昭和2年(1927年) 市立八幡山公園を開設
軍道(桜通り)の桜並木が花見の名所となる
昭和6年(1931年) 東武鉄道宇都宮線が開通
昭和20年(1945年) 空襲を受け、市街地の大半が焼失
昭和22年(1947年) 地方自治制下初の市長選挙が行われる
昭和36年(1961年) 宇都宮(平出)工業団地の分譲を開始
昭和45年(1970年) 市花に「さつき」を制定
昭和47年(1972年) 市章と市旗を制定
東北自動車道岩槻・宇都宮間が開通
昭和55年(1980年) 市民憲章を制定
昭和61年(1986年) 現在の市庁舎ができる
平成8年(1996年) 市制100周年を迎える
中核市となる
平成19年(2007年) 上河内町と河内町を編入し、人口50万人に到達

このページに関するお問い合わせ

総合政策部 広報広聴課
電話番号:028-632-2022 ファクス:028-637-5151
お問い合わせは専用フォームをご利用ください。