略年表
年号 | 事項 |
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古墳時代前期(四世紀) | 三基(大日塚・愛宕塚・権現山古墳)の前方後方墳がつくられる |
五世紀 | 前方後円墳(笹塚古墳・塚山古墳・雀宮牛塚古墳)があらわれる |
六世紀から七世紀 | 市内各地に古墳がつくられる(瓦塚古墳群・戸祭大塚古墳など) 長岡で横穴墓がつくられる |
八世紀 | 水道山で下野薬師寺や国分寺の瓦が焼かれる 東山道が整備される この頃、大谷磨崖仏がつくられる |
承和5年(838年) | 二荒山神社が現在の地に移る |
文暦2年(1235年) | 藤原定家が蓮生の山荘に和歌色紙を贈る 宇都宮氏一族が歌人として活躍 |
正元元年(1259年) | 新○和歌集が撰集される |
弘安4年(1281年) | 宇都宮貞綱らが九州に行き元軍の防備にあたる |
弘安6年(1283年) | 宇都宮景綱、宇都宮弘安式条を制定 |
永仁年間(1293年から98年) | 飛山城が築かれる |
正和元年(1312年) | 東勝寺に鉄塔婆(清巖寺に現存)が奉納される |
正慶2年/ 元弘3年(1333年)前後 |
関東各地に戦乱が続き、宇都宮の町も荒廃する |
応永12年(1405年) | 宇都宮満綱が、長楽寺に銅造阿弥陀如来座像(俗称、汗かき阿弥陀)を奉納(一向寺に現存) |
天正20年(1592年) | 宇都宮国綱が秀吉の命により朝鮮に出兵する |
慶長2年(1597年) | 宇都宮氏がほろびる |
慶長5年(1600年) | 徳川秀忠が上杉景勝征伐のため宇都宮に入る |
慶長9年(1604年) | 徳川幕府が二荒山神社を造営 |
元和5年(1619年) | 宇都宮城主の本多正純が城下を整備。領内総検地を始める |
元和8年(1622年) | 秀忠日光社参、本多正純改易される。奥平忠昌、宇都宮に再入封する |
寛文10年(1670年) | 西原・宝木十カ新田の開発が始まる |
寛文12年(1672年) | 浄瑠璃坂の仇討事件起きる |
宝暦3年(1753年) | 宇都宮藩五合摺を六合摺に改め、これに反対する百姓一揆起こる(籾摺騒動) |
文化12年(1815年) | 宇都宮藩、藩学「修道館」・「潔身館」を設置 |
安政3年(1856年) | 桑島新田の開発が始まる |
安政5年(1858年) | 宝木用水完成 |
文久2年(1862年) | 宇都宮藩、山陵を修理 |
元治元年(1864年) | 水戸天狗党、宇都宮藩の支援を求める |
明治元年(1868年) | 戊辰戦争で宇都宮の城下町の大半が焼ける |
明治5年(1872年) | 宇都宮・東京間に乗合馬車が開通 |
明治6年(1873年) | 宇都宮県、栃木県と併合 |
明治17年(1884年) | 栃木県庁、栃木から宇都宮に移転 |
明治18年(1885年) | 東北本線大宮・宇都宮間が開通 |
明治22年(1889年) | 宇都宮町制施行 |
明治29年(1896年) | 宇都宮が市となる(戸数 6,991戸、人口 35,234 人 65カ町) |
明治33年(1900年) | 宇都宮電燈株式会社創立 |
明治39年(1906年) | 市内に電話が開通 |
明治40年(1907年) | 第14師団指令部の設置が決定 |
明治45年(1912年) | 旭町に市庁舎ができる |
大正5年(1916年) | 水道の給水を開始 |
昭和2年(1927年) | 市立八幡山公園を開設 軍道(桜通り)の桜並木が花見の名所となる |
昭和6年(1931年) | 東武鉄道宇都宮線が開通 |
昭和20年(1945年) | 空襲を受け、市街地の大半が焼失 |
昭和22年(1947年) | 地方自治制下初の市長選挙が行われる |
昭和36年(1961年) | 宇都宮(平出)工業団地の分譲を開始 |
昭和45年(1970年) | 市花に「さつき」を制定 |
昭和47年(1972年) | 市章と市旗を制定 東北自動車道岩槻・宇都宮間が開通 |
昭和55年(1980年) | 市民憲章を制定 |
昭和61年(1986年) | 現在の市庁舎ができる |
平成8年(1996年) | 市制100周年を迎える 中核市となる |
平成19年(2007年) | 上河内町と河内町を編入し、人口50万人に到達 |
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